サイトタイトル

 

 

Representative works

2010 - Now

 

 

photo 1 "Mitsunori Kurashige, EBE"gallery HIRAWATA 2016

photo 16. "Garden of the Vold : Indefinite Square" 2010 100x500x5cm. neon 

 

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE

photo 1. "Mitsunori Kurashige, EBE" gallery HIRAWATA, Fujisawa 2016

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE

photo 3. "Mitsunori Kurashige, EBE" gallery HIRAWATA, Fujisawa 2016

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE

photo 5. "Japan im Palazzo" Kunsthalle Palazzo, Liestal, Switzerland 2016

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE

photo 7. "Japan im Palazzo" Kunsthalle Palazzo, Liestal, Switzerland 2016

 

mitsunori kurashige 倉重光則photo 9. "untitled" Souzo-Exhibition of the Publication Commemoration Gallery Gen,Tokyo 2014 「『層造』出版記念展」ギャラリー現(東京)2014

 

photo 11. "untitled" Gallery Gen, Tokyo 2012

 

photo 13. "untitled" Gallery Gen, Tokyo 2014 

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE gallery kokon

photo 15. "Garden of the Vold : Indefinite Square"Gallery KOKON, Tokyo 2010 200x600x5cm. neon 「虚空の庭園ー不確定性正方形」2010年 ネオン 

 

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE gallery kokon

photo 16. "Garden of the Vold : Indefinite Square" Gallery KOKON, Tokyo 2010 100x500x5cm. neon 「虚空の庭園ー不確定性正方形」2010年 ネオン 

 

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE

photo 2. "Mitsunori Kurashige, EBE" gallery HIRAWATA, Fujisawa 2016

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE

photo 4. "Mitsunori Kurashige, EBE" gallery HIRAWATA, Fujisawa 2016

 

photo 6. "Japan im Palazzo" Kunsthalle Palazzo, Liestal, Switzerland 2016

 

mitsunori kurashige 倉重光則

photo 8. "untitled" Souzo-Exhibition of the Publication Commemoration Gallery Gen,Tokyo 2014 「untitled」『層造』出版記念展 ギャラリー現(東京)2014

 

photo 10. "untitled" Gallery Gen, Tokyo 2012

 

photo 12. "untitled" Gallery Gen, Tokyo 2012

 

倉重光則 MITSUNORI KURASHIGE gallery kokon

photo 14. "Garden of the Vold : Indefinite Square" Gallery KOKON, Tokyo 2010 400x100x5cm. neon 「虚空の庭園ー不確定性正方形」2010年 ネオン 

 

 

 

 

 

 

 

  EBE extraterrestrial biological entity

 

神から人間へ、人間の本来の姿を回復する (宮田徹也)

画廊に入ると、左壁面は長方形に黒く塗られている。右壁面には《EBE》が青く光っている。扉の傍らにはヘッドフォンが置かれている。装着すると、詩とも散文とも哲学とも言える文章を朗読する倉重の声が聞こえる。「もう何かわからないもの」。
倉重のこれまでの仕事、ネオン管の光を想い起こすと、本当に途切れながらも矩形を形成したのか、疑問となる。もしかしたら光は調和を崩していたのではないか、すると正方形などこの世に存在せず、我々の頭の中、形而上の世界だけの絵空事なのではないか。すると世界は崩壊する。
そのような前提で向き合えば、《EBE》は人体を模しているとは言えなくなる。イーバの発音の響きから父なき母、エヴァを想像することも難くない。近代以後、人類は神を殺したのではなく、自らが神になったのではないか。そのような愚行に、倉重は止めを刺す。
所詮、抽象と具象の対立など、オールオーヴァーとポップアートの鬩ぎ合いに見せたアメリカの美術戦略に乗っているに過ぎない。芸術の本質に、抽象と具象の対立など存在しない。幻想絵画すら、シュールレアリスムに回帰するのではなく、中世のブリューゲル、ボッシュを経て、古代に遡る。古代には、抽象が満ち溢れている。子供の絵を見ると何かを形作るとか、自己の思想を再構築するなどという欲は一切ない。描くことそのもののあり方しか問題にしない。いま、ここに描くこと。
抽象壁面と具象立体が向き合い、人間のみが有する言葉による声が響き渡る。インスタレーション、パフォーマンスという概念は、既存の概念を破壊する為に誕生したので、「分野」に収まることは決してないのだ。そこに日本語が通過する。
朗読は死の国からの木霊であり、生きる言葉は演劇的要素を強調する。嘗て人類は隣の村にも通用しない方言を話した。自己の村へ敵の侵入を防ぐためだ。しかし外へ出なければ精神は昇華しない。今でも我々は外国人と対話し、心を交わそうとする。その瞬間を見せるのが、演劇の本質ではないか。するとこの展示には、人間が、人間と接触し、人間であることを回復するメッセージが込められている。
(みやたてつや/日本近代美術思想史研究)